昭和五十七年二月十二日 朝の御理解

x 御理解第九十三節 「氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣する。守りが留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けておれ。人には上下があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ。」


 信心のある者とない者は、親のある子とない子ほどの違い、と。本当にそうだなあと実感をもって信心をしておる人がどの位あるだろうか。と。おかげを受けるからお参りをしておるのであり、おかげを頂くから神様、金光様と言っておるのであり、本当に信心のあるとないとは親のある子とない子ほどの違いを実感させて頂いての信心。そこから私は狂いのない信心が出来るようになる、と思う。ただ都合のいい時だけが親じゃない、やはり親がおれば場合には優しくも、場合には厳しくも躾をする事がございます。
 私共がこうしておかげを頂いて、椛目、合楽を通して何十年間、椛目時代が十七年間でしたでしょうかね。その頃は修行をする先生方も、私と久保山先生とそれから久富先生位な、他にまあ日に日に次々と修行に入った方達もございましたけれども、まあその当時はそうでしたが。
 zr椛目の当時の御結界はいっときもここが開く、という事がなかった。御結界が。私がもう殆ど終日御用さしてもらう。合間を、昼から久保山先生が奉仕される。私と先生が夕食を頂く、その、四時から五時までだったでしょうか。一時間空きます時間を若先生が奉仕を致しました。まあだ十一、二歳の子供に御結界奉仕をせろ、とは言うた事もなからなければ思うた事もなかったんですけれども。丁度その年の正月にお夢を頂いた。その時分に藤原、という女の先生がおりました。ところがその、なかなか、取次者としては几帳面な先生でしたけれども、時々ちょっと変った事をしたり言うたり致しますので、いうなら油断が出来ない。だからその、藤原先生の後ろに座っておって、いうならみかじめをしとかなければならない、といったような意味のお夢を頂いておった、ち。だから今年は御結界の御用をさしてもらわんならん。ほうそげな夢頂いたならあんたが丁度四時から五時までの間が一時間あいとるから、その間をならあんたの御結界の奉仕の時間にさしてもらおう。
 そして、その、それこそ学生服を着て、ここへ座っておるわけですよ、ね。したら丁度その時にたまたまむつやの今の新司郎さんのお母さんですね、てる子さんがお参りになったんです。したら勝彦がここで奉仕をしとりますもんですから私、そん時の情景を今でも思いますが、まあ~、と言うたぎり、で、そこに平伏されたんです。まだ小さい、感激されたんですねえ。という位に椛目では御結界を大事にさしてまいりました。今でもやはり、今は沢山な先生方がおりますから、ね。御結界を大事に致します。もうその日早速あのう、石井さん、勝彦が着る奉仕服を、羽織袴、長着まで全部その、数日後にはお供えがございました。
 勝彦ちゃんが御結界奉仕をなさるならば、紋付袴を着けて頂かんならん、というので。今、恵城がいつも着ますのがそれなんです。そんな事でまあ私は、合楽の場合には、ね。いわゆる御結界を死守するといかね。もう教祖の神様が教えられておる通りに間違いなくこの、いうならば取次の者が留守なら、ね。神様が留守だと思わせるような事は一日だってなかった、という事を改めて私は有難い、と思いますね。
 昨日は福岡の川上さんの所のお母さんが亡くなられて丁度五十日にあたりますので、御遺骨をもって見えて、合祀祭がございました。
 合わせて五十日の、五十日祭が奉仕されました。本当にあの、霊様のお祭りをさして頂くたんびんに、何かを新たに感ずるし新たにわからして頂くのですけれども、昨日、今申しますように、信心のある者とない者は親のある子とない子ほど違う、と仰せられますが、私は現世に於てもその実感をもって信心を致しませんと今、これは取次者としてです。取次者だけに限った事はありませんけれども、ね。本当に親のあるおかげで、という事と、親があるからまた厳しう躾もして下さるわけですけれども、ねる
 親のある子とない子ほどの違いをかんじさせて頂く現世での信心、という事を私はいつも思うておりましたけれども、霊の世界に入っていよいよ信心のあるものとない者の違い、というものははっきり親のある子とない子ほどの違い、がある事を昨日改めて気付かせて頂きました。ね。現世に於ても親のある子とない子の違い、というものをかんじさせて頂くけれども、ね。霊の世界に入ったらなお一層一段とその間を深くするのです。
 というのを勿論、お母さんは鹿児島の方へおられまして、まあこちらから時々模様見に行かれる程度で、亡くなられたのも勿論あちらで亡くなられたし、告別式もあちらでございましたが、御遺骨をこちらへ頂いて見えて、そしてまあ、あ、して熱心に御信心をなさいますから改式してございますので、まあ当然ここで合祀祭、五十日祭があったのでございますけれども御本人、お祖母さん自身は信心があったわけではないのです。
 けれども子供達の、いうならば信心によって合楽に御縁を頂かれたわけですけれども、z『御神前で御祈念させて頂いておりましたら丁度あのう、納豆ですね。豆で作ります納豆です。いうなら豆を腐敗状態にするわけでしょ、あれは。いうならば人間の健康というものをなくするわけです。いうならば肉体が滅びてしまうわけです、ね。ですからね、もしこれに信心がなかったら、も、亡くなった、というだけなんです。まあいうなら土になるだけであります。ところがね、信心を頂いておりますと、これは川上さんの場合ですけども、それこそ十日十日の帰幽日にはぴしっと、いうならば真心込めての奉仕をなさる、ね。
 まあ分かり易くいうならばですよ、死んだ、もうそのまま土になっていかなきゃいけない。死んだ、信心がある。それをいうならば手当をする。それは丁度腐った豆をそのまま放任して塵箱行になるのと、ね。いうならその豆を今度はこうむくみを作ったり、色々手当をするです。丁度納豆を作るようなもんだとおっしゃる。だから五十日の帰開けの時にはもうなにとも言えん香りが出て粘りが出て素晴らしい味の納豆になっておる、という意味の事を頂いたんです。』ただ、もしこれは分かり易くいうからですから、そこんにきは誤解がないように、ね。
 例えば同じなら信心のない者同士があって、片一方は子供達が熱心に信心をする。片一方はまあもう死んだらそれまでの事であるけども、まあ、そのまま、なら合楽で言われる光のない真暗い世界に入って行く。片一方は五十日間の間に光の世界に住めれるような手立てをする。いわゆる納豆を作る、納豆にする、香りが出る、粘りが出る、おいしい。z『いうならばこれからは合楽理念に基づいてそれだけの手立てがしてございますから、段々お祖母さんのお名前が川上トヨというお名前でしたが半ばに頂いたんですけど登与と頂いた。川上登与媼之霊神とこういう事になる。まあいうなら贈り名ですね。
 その登与から頂いてもいうならば、ね。登っていくに従って位が与えられる、という感じですね。だからいうなら五十日祭を境に霊の精進もあるでしょうまた、後に残った遺族の者の信心も合わせていよいよ霊の位も段々進んでいけれる手立てが、その、五十日間の間に出けておる、という事。成程、親のある子とない子ほどがこんなにも違うという事を感じます。』只、真暗い世界に入っていかなきゃならない霊。いうなら真暗いせかいにおってもそこから亡くなった、という境からいうなら五十日間の手当が出け手立てが出けて納豆になって、これからは精進次第で位を受けていく事が出来る、という霊。
 信心のある者とない者の違いが、いうならば暗黒の世界と光の世界、というほどに違う、という事をね、昨日改めてわからせて頂きました。後々の者はあと、後々の霊様へ対するは、例えば毎日お茶を一服差し上げる。お茶のお供えでもさしてもらう時には必ず甘なの一つを添えて、という心掛けで、という事を頂きました。ね。仏教でもお茶と、というものを出します。そのお茶を一服汲ませて頂いたならば、それにちょっと心を使うて甘い物の一つも添える、その心が神様へ通じ霊様へも通うのだといったような意味の事を、ま、これは川上さんの事ですから、まあそれ以上の事がなされる事に違いありませんけれども、です。
 信心はそういう心掛けが段々出けてくる。そこにいよいよ親のある子とない子ほどの違いがいよいよますますはっきりしてくる。ね。私は今日の御理解は、これはお道の教師に対する御理解だと思うのです。お広前を空けるなよ、御結界を空けてはいけないよ。信者が参って来ても御結界に誰もいないのと、神様が今日は留守じゃった、というようにしか言うたり思ったりしないぞ、と。まあそういう意味で合楽はおかげを頂いて、なら何十年間おかげを頂いて来とるわけですけども、親があるゆえに神様は、たった十一、二の子供のお夢の中にでもお知らせ下さって厳しいお躾をして下さろうとする働きを感じずにはおられません。ね。
 親があるから、けれども私共がです。ここに初めて親のある子とない子ほどの違いを合楽に御縁を頂いてる事がこういう有難い事だという実感をもって信心の稽古をさせて頂かなければならんけれども、私共が霊の世界に入ったら、なお一段ますますとです。親のある子とない子ほどの違いを感ずる事でしょう、また感ずるわけです。私は昨日の霊祭を仕えて、それを実感致しました。どうぞ